家々

 先日、林史也さんの『煙たい話』という漫画を購入した。この作品のあらすじをかなり大雑把に紹介するならば、「男性二人が同じ部屋で暮らす話」なのだけど、なぜだろう、僕は文章という形でこの漫画について語りたいと思っている。

 まず、先ほど「男性二人」と言ったが、彼らの関係性に似合う表現はなかなか見つからない。「友人」「恋人」「家族」、どれを当てはめてもしっくりこない。彼らは同じ高校の同級生なのだけど、卒業してから数年後、とあるきっかけで再会し、ともに暮らすようになる。主要な登場人物の一人である「武田」は、同居人である「有田」との関係を他者に説明する際に「友達」という言葉を一度用いているが、もやもやとした戸惑いを覚えている。「俺にとって有田は有田であって、それ以上正確に表す言葉なんてないし、必要だと思ったこともないのに、人に説明するときには言葉が要るんだ…変なの」(p.57)。

 おそらくこの辺りが、僕が『煙たい話』を面白いなあと感じている部分なのだと思う。彼らは、名付けられていない関係性を築いている。端から見ていると、それは夜間飛行のように不安の多い旅ではないかと思ってしまう。名前は便利だ。「友人」にも「恋人」にも、なんとなくこういうものなのだろうなというイメージがある。「家族」もそうだ。誰かが作って広めた「らしさ」に従ってしまえば、自然と安心感も生まれてくる。大雑把に分けられ、名前がつけられた関係性に、僕はときどき甘えてしまう。

 しかし、『煙たい話』の二人はそれとは異なるような気がする。まず、彼らには「一緒に暮らしてみたい」という思いが先にあり、同居を始めたあとで、「この関係性に相応しい言葉って何なのだろう」と考えている(それにしても、男性二人が同じ部屋に暮らすだけでなぜ名前を設ける必要があるのか、だんだんよくわからなくなってくる)。もし言葉が現れないとしても、彼らの生活の前には、一緒に暮らすことの楽しさが立っている。それが妙に羨ましい。

 ここで僕は、今からかなり昔、人が火を発見した頃のことを想像してみる。彼らはあたたかい火を囲み、調理された食料を分け合い、ともに眠る。そのコミュニティを構成していたのは、別に「家族」でも「友人」でもなかった。この炎を共有したいと感じた人同士で相互行為があったはずだ。炎はいつから「家」になったのだろう。夕方、帰宅途中に家々の明かりをぼんやり見つめ、そこにある暮らしを思う。『煙たい話』の二人はどのような営みを描くのだろうか。彼らの炎が生み出す煙はどんな色をして、風に運ばれてどこまで行くのか、見届けたい。

煙たい話 - 林史也 | COMIC熱帯|もう一度、読みたくなる

煙たい話 1 林史也 | コミック | 光文社