わかりあえない

 春の曖昧な気温のせいで、頭が痛い。ゆっくりお風呂に浸かったあと、布団にくるまりながら文章を考えている。明日も働かなくちゃいけないけれど、なるべく仕事のことは意識しないようにしている。午後からは、恋人に会う。何を着て行こう。今はとりあえずそのことを。

 夜に散歩するのが楽しい。夜の町はひと気がなくて、ときどき自動車の走る音が横切るだけだ。路地裏や川べり、ほの明るい国道沿いを、恋人と雑談しながら歩く。大事な話をするときもあるけれど、そのほとんどがくだらないもので、今もあんまり思い出せない。なんでもないことを話せることが嬉しいのだ。

 喋っていると、なにかのきっかけで相手から叱られることがある。それは僕の態度や言葉が原因なのだけど、ときどき、どうしてそこまで怒っているのかわからないときがある。嫌らしい意味で言っているわけではなく、ただ素直に、相手にとっての機嫌の「ツボ」が自分とは違うのだと感じる。だからその反対で、こちらの予想を上回るほど、相手が喜ぶこともある。

 昔は、人の心がわからないことがつらかった。自分のせいで相手が傷つき、その人との関係がぎこちなくなるのが苦しくて、一人でいる方が楽に思っていた。しかし、そもそも人の心はわかるものなのだろうか。「わかっている」と思い込んでいるだけではないのか。人の心はわからないものだ。そう諦めてしまえば、今までのしんどさが多少和らいだ。人間関係というのは、ハンドルが壊れた自動車と同じで、こちらの思い通りにはならないけれど、できることなら、そのオンボロな車が導く旅を楽しみたい。

 どうやら、文章を考えている途中でうとうとしていたようだ。ラインに恋人からのメッセージがきていた。いま返信すると向こうの眠りに水を差してしまうから、そっとしておく。僕は恋人の心が(たぶん)わからない。だからと言って、接し方や言葉遣いがでたらめで構わないというわけではない。僕は自分の優しさを信じている。日々のやり取りで重ねる言葉から、僕は相手の心の輪郭を描こうとする。ときどき、消しゴムで消して修正するときもあるけれど、僕はできるだけ恋人の心を理解したい。わからないけど、わかりたい。それは矛盾しているように思えるけれど、僕はそのまま心の中に仕舞っている。さて、明日の仕事のことをそろそろ考えないといけなくなった。また目を閉じて、眠ろうと思う。f:id:sawatte_kawatte:20230409225400j:image