さらさら

 ある日、窓口に来た女性が、自分は軽度の認知症を患っていると言った。僕は平静を装いながら「どうぞ席にお掛けください」と促したが、正直なところ、唐突すぎてどう反応すればいいのかわからなかった。

 認知症の患者さんに関わることがなかったため、あくまで通常どおり、手続きの言葉を並べていく。最初は問題なかった。ある話の流れから、女性が昔保護していた犬の話になり、彼女は丁寧にその犬のことを話し始めた。こちらはふうんと感心して聞いていたのだけど、彼女がその話を終えた途端、「手続きはおわりましたか?」と尋ねてきたので、ああなるほどと思った。まだ手続きは完了していない。まだですよ、と答えたが、それからまた少しして同じやりとりがあった。手続きが終わり、別の窓口へと案内する途中、彼女は何度も「ここは〇〇役所ですか?」と僕に訊いた。その度、初めて聞かれたように「ええそうですよ」と答えた。次の窓口の職員にも、ここが本当に役所であるのか確認をしていたが、僕は窓口に戻らなければならなかったため、彼女から離れることにした。

 記憶という砂粒が、さらさらと流れていくのを見るようだった。積み上がっても、またすぐに風に遊ばれてしまう。記憶はこれほど曖昧で頼りないものなのかと、「怖い」という感情さえ抱いた。でも、自分にも覚えがある。急に人の名前が出てこなくなったり、自分が何をしようとしていたのか思い出せなくなったり、頭に急に暗闇が降りてくるような、そういう経験が何度もある。僕の記憶が水瓶ならば、年を経るごとに少しずつ欠けていき、こぼれていく水も多くなるのだろう。ついにはそのことにも気づかなくなるぐらいに。

 記憶の問題とはまた別になるのかもしれないけれど、忘れるということについて話したい。ある夜、僕は恋人と会っていて、だらだらと話をしていた。なにかの話の流れで、相手が「あのときあなたからこういうことを言われたけど、本当はつらかった」と僕に打ち明けた。僕は、忘れていた記憶を思い出した。言った。たしかに言った。でも、その言葉の加害性について考えが至る間も無く、僕はいままで忘れていた。僕は謝罪に似合う言葉を繰り返したけれど、もう遅いことはわかっていた。僕と恋人との間に、きっといくつも、記憶の溝があるのだろうと思った。僕が忘れたけれど、相手が覚えていること。僕はまだ気にしてるけど、相手にとってはもうどうでもいいこと。傷つけるという意図や自覚がない言葉は、安心して忘れてしまうけれど、傷つけられた方はその痛みと生きている。人はときどき、僕の記憶の暗がりを照らしてくれるが、そこには僕の優しさも、いやらしさも、ふがいなさもある。僕は今、何を忘れているのだろうか。